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2011. 09. 28  
7年前、産後1週間の検診で医師に思わぬことを告げられた。
「お子さんに心雑音がみられます。心臓病の可能性が大きいです。」
耳を疑った…何のことだか分からなかった、いや、分かりたくなかった。

赤ちゃんはお腹の中にいる間、肺呼吸をする必要がないので、肺への循環をしなくて良いように、心臓に血流の近道である卵円孔(らんえんこう)という穴がある。しかしその穴は生後数日間で自然に閉鎖するもので、たまに閉鎖しないで開いたままであることもある(卵円孔開存)。

「もしかしたら自然に閉じるかもしれないから、1ヶ月は待ってみましょう。それでも開いている場合は、専門医に診て貰った方が良いです。」
そう言ってもらって、期待と不安を抱えながら待った1ヶ月。結果、穴は閉じておらず、新たな病名が告げられた。心房中隔欠損症…。確率的には、生まれてくる子供の1%はこの先天性心疾患であるという。

それからというもの、自分を呪った。
なぜ健康に生んでやれなかったのか?
妊娠中、胎児の心臓が形成される時期に、してはいけないことをしたに違いない。病気か?薬か?何をしたんだろう?思い出そうとしても思い出せない。自分のしたこと全てが問題の原因のような気がした…。

夫A-さんに泣いて訴えた。
「私が妊娠中に、なんかアカン事をしたからや…」「私のせいや…」
夫は優しく言った。「○ちゃんのせいじゃない。これは誰のせいでもないよ。治るよ。大丈夫だよ。」

でも母親として、どうしても自分を責めてしまう。
私の食べたものを栄養源とし、私の生活の影響をもろに受けながら、私のお腹の中で成長する赤ちゃん。その赤ちゃんに問題があったのだ。自分以外に犯人はいないではないか…。

そうやって自分を責め、呪う日々が続いた。
でもそんな中でも、おっぱいを美味しそうに飲み、日々ずっしり重たくなり丸々と太っていく我が子。
可愛い笑顔や笑い声、幸せ一杯の寝顔に癒された。
「私がしっかりしなければ!どんなことがあっても守ってみせる。」と決心した。

生後半年たって、総合病院の小児心臓外来を訪れた。
小さな体をレントゲンの台に横たえ、胸部の写真をとる。動くといけないので眠り薬を飲まされて、小さな胸の上で大きなプローブを転がしながら心臓エコーの検査を受ける。
検査の結果、心房中隔欠損は確実になり、穴の位置も、漏れている血流もはっきり確認された。

病気のこと、今後の治療法について、医師から長い説明を受けた。
穴が開いていることによって、無駄な血流が発生し、それを補うために心臓はより一層働かねばならず、その負担が長期間続くと、将来心不全が病状として現れてくる。そうなる前に手術で穴を塞がなければならない。
当時の治療法では、胸を開き、人工心肺をとりつけ、その間に心臓を直接切開して穴を塞ぐという方法しかないこと。数ある心臓疾患手術の中でも難易度は高くないこと。それでも、心臓を止めて行う手術であることには変わりなく、細菌感染症や何らかの後遺症の可能性も否めないこと。成功率は98%であること。…といっても100%ではないのだ…
DSC08665.jpg

頭の中はパニックになっており、医師の説明をとても冷静には聞けないので、紙面に書いてもらっての説明。そしてそれを承諾するサインを書くのだが、その説明承諾書のサインは今見ても震えて汚い字である…。

半年ごとに検査を受け、心臓の状態を調べ、医師に今後の治療法について話しを聞く。そんな2年を過ごした。
心臓エコー検査をしやすくするための眠り薬は、子供によっては逆に興奮してしまうこともあり、またフラフラする感覚が辛くて泣きわめくこともある。なかなか寝付かなくて、朦朧とする意識の下で藻搔くように薄暗い病院の廊下で泣いてのけぞることもあった。そんな我が子を抱きしめながら、何度も何度も涙した…。強くならないといけないのに、いつも泣いている自分が情けなかった。
病気を代わってあげられたらどんなに良いか、と願うのに代わってもあげられないことが辛かった。

検査している間、ずっとずっと祈り続けた。穴が閉じますように。今回こそは「閉じていますよ!」という検査結果が聞けますように…。でも、その願いは裏切られ続けた。

そんな時、インド駐在が決まった。
心臓病の子供をインドに連れて行っても大丈夫なのか?
何かあった時、医療現場は信用できるのか?きちんと対応してくれるのか?
担当医に相談した。
「この子の場合、もっと体重が増加して、体力的にも耐えられるような年齢になってからでないと手術はできない。それに、今、日本では心臓手術の過渡期にあり、カテーテルを用いたやり方もいずれは承認される。それを待ってから手術しても遅くないだろう。いずれにしても、今すぐ治療は出来ないから、インドに行って、帰ってきてから決めましょう。」
そうして、担当医に病気の経過を英語で書いて貰った紹介状を携えインドに渡ったのだった。

幸い、インドは医療ツーリズムというものが盛んで、高度な医療技術、先進国と比較にならないほどの破格の治療・手術費が魅力で、近隣諸国のみならず、欧米からの患者もインドに手術治療を受けにきていた。
当時日本ではまだ未承認であった心臓のカテーテル手術も、インドでは20年ほど前から先駆けて行われているし、腕も良く、術後の経過データも揃っている。
色々考えて、インドで心臓の手術をしても良いのではないか、という気持ちになった。
そして、そろそろ体格・体力的にも手術は可能ではないか、という就学前の時期にインドで循環器専門医の診察を受けた。

今まで日本の病院で受けてきた検査の際に見た器機とは、素人目にも明らかに違っていた。最新の検査器機だ。担当医師はインド国内のみならず、イギリス、フランス、オーストラリア、アメリカ、と多くの国で経験を積んできた凄腕。インドの循環器医療界のトップである。
検査の結果、医師は言った。
「大丈夫、穴は小さくなっているよ。穴の大きさは針ほどの細さ。このままだときっと2年以内には閉じるでしょう。今は手術の必要性もないわ。」
凄く嬉しかった。でもここで喜んで、次の検査でまた穴が確認されたら…、と思うと辛かったので、半分喜んで、半分はまだ暗闇の中で覚悟を決めていた。


インドから帰国して、先日5年ぶりに日本の担当医の診察を受けた。
インドでの検査結果とインド人医師の所見も手渡した。最後の検査からちょうど約2年が経っていたので、新たにレントゲン、心電図、心臓エコー検査を受ける。

結果…
「穴はふさがっていますよ。自然閉鎖しましたね。」

なんだか夢のようだった。この7年間、毎日毎日願った「どうか穴が塞がりますように…」の悲願が叶ったのだ!!!!嬉しくて嬉しくて涙が溢れた。
「良かったね、良かったね!!これからは心臓のこと、気にしなくて良いんだよ。今までよく頑張ったね。」と感極まる母の言葉に対して、
「う~ん、でも特に何も頑張ってないよ。」という我が子…。

違うんだよ、覚えていないだけで、ちゃんと頑張っていたよ。母は知っている。
小さな体に色々な線を繋がれてジッと我慢してたよ。冷たいレントゲンの台にジッと横になってたよ。
眠たい薬でフラフラになりながらも検査を受けたんだよ。
マラソンで走った後に胸がドキドキしたら怖くなって、プールで泳いだ後に唇が青くなったら心配になって、小さいながら自分の体に不安を抱えていたんだよ。
もう、そんなことも気にしなくて良いんだよ。普通にしていられるんだよ。
あぁ、本当に嬉しい…。神様、有り難うございます。


私が初めて病気についての説明を受けた2004年当時には承認されていなかったカテーテル手術。
そのカテーテル手術も2006年からは日本でも承認され手術が可能になり、今では保険対象にもなった。
人工心肺を用いる手術法と異なり、開胸しなくても良いことから感染症リスクが低いことや、体への負担が軽減され入院日数も短くすむこと、傷も胸ではなく太ももに少ししか残らないこと、など色々なメリットがあげられている。
詳しくは下記のHPよりどうぞ…
心房中隔欠損症のカテーテル治療


私の周りにも、お子さんが心房中隔欠損症であるという知り合いが何人かいる。
みんな、自分を責め、妊娠中の行いを振り返り、そして、何度も何度も辛い検査を子供と経験し、穴が塞がることを切望し、検査結果に裏切られ涙している。
カテーテル手術の朗報に喜んだり、カテーテル手術での死亡ニュースに心を痛め不安になる。
そんな日々の繰り返しだ。

心房中隔欠損症で悩んでいるのは、自分だけではない、と知って欲しい。
そして、もし同じ病気を患いながら、インドに赴任することになった方がいらしたら、インドで5年生活し、インドで最先端の循環器医療で検査を受け、好印象を抱いた人間がここにいることも知って欲しい。
手術でしか治らないと説明されていたけど、自然閉鎖した子供がいることも知って欲しい。手術での治療であれ、自然治癒であれ、希望を失わないで欲しい。

嬉しい検査結果の夜、頑張ってきた年数分の蝋燭を立ててお祝いした。
DSC08660.jpg

これから先、心電図で異常が出ないとも限らない。再検査の結果、「やっぱり穴は開いていました」と言われるかもしれない。その不安は拭い去れないけれど、我が子の親であることには何の変化もない。どんなことがあっても、しっかり育てていこう、と気持ちを新たにした。

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