2011.
12.
13
最初にお断りしておきます。
今回はちょっと重い日記です…。
早いもので、もう12月も半ば。今年も残すところ僅かとなりました。
インドから戻って一年が過ぎ、子供達は一通り学校行事も経験し、すっかり「地元っ子」ぽくなってきました。私も何とかかんとか慣れないながらも地域のお役を務めさせて頂いています。
新しい環境の中、色々なことが起こり、様々なことを感じ、体調不良もあったり、笑って泣いて悩んだ一年でした。
3月に起こった未曾有の大震災以来、亡くなった方、行方不明の方、ご遺族のこと、原発問題、未だに不安を煽り続ける放射能問題…、まだまだ問題も課題も山積みなまま、2011年が幕を降ろそうとしています。
皆さんもそれぞれに色々な想いの残る一年だと思います。
実は、この秋10月に義父が亡くなりました。
義父はとても優しい人でした。初めて会ったのは12年前。両家を交えて結婚の話しをする席でした。
それまで一度も会ったこともなかった「何処の骨とも分からぬ」私を、最初から全てを受け入れるように認めてくれたことに驚きました。
少しも偉ぶることもなく、私の手料理も文句1つ言わず食べてくれ、ハンガリーにいる私達の元に何度も遊びに来てくれました。
義父は無口な人でしたが、ちょっとした言葉に思いやりや教訓を感じられることが多々ありました。校長先生をしていただけあって、人を見る目が優しく、的確に人物を捉えるところがあり、子育てに悩む私に、「大丈夫。良い子に育ってる。心配しんさんな。」と言ってくれました。
チーコが生まれた時は、「女の子を生んでくれて有り難う。本当に有り難う。」と、私なんかに向かって膝を合わせて涙を流して感謝してくれました。
そんな義父が亡くなりました…。
息子である夫A-さんは表現できないほど辛いはずです…。幸い、私は両親ともに健在なので、父を亡くした夫の気持ちは実感としては理解してあげられないのが申し訳ないです。
でも、お通夜・お葬式を終え、火葬場でいよいよお別れの時、夫には息子としての、私には私の、鉄男には鉄男の、チーコにはチーコの、それぞれの心の中で故人との思い出が走馬燈のように流れ、みんなで号泣しました。3歳のピー助だけは何も理解できていない様子で、「おじいちゃん死んじゃったの?」とあどけない顔で聞いていました。
今回の義父の死は辛いことだったけど、私は義父に救われたのだと感じています。
義父の亡くなる1ヶ月ほど前から、育児ノイローゼ一歩手前で、何をするにも自信が持てず、ちょっとしたことでイライラして眠れず、新しいことを始めたくても何をどうして良いのかもわからず、自己嫌悪の日々でした。
自転車に乗っている時など、ふと「このままトラックにでも突っ込んでしまえば楽になれるかもしれない…」とペダルに力を入れそうになっている自分がいて、かと思えば、「いやいや、死ねずに助かって、下手に障害が残ったり、家族に慰謝料などで迷惑をかけるのもいけないし…」と変に冷静で打算的な自分もいて、「死んだ方が楽だし死にたい。でも、自分は死ぬことすら出来ないのか、情けない…」と余計に落ち込んだり…。
そんな時の義父の死。
「死んで居なくなると言うことは、こういうことなんだ。こんなに辛くて、冷たくて、もう話せなくて、本当に骨になってしまうんだ。」という動かしがたい事実を突きつけられた気がしました。
お通夜・お葬式のために集まってくれていた親族のみなさんが、私にとってみれば憎たらしい我が子供達を見て、「本当に良い子達だね~」「子育て、今が一番身体もキツいけど、終わってみれば、この時期が一番楽しいと気がつくものなのよ。」と口々に言ってくれました。それが、どれほど大きな励ましとして私の心に染み入ったことか…。
生死を前に、「子育てが大変だ」「自分のやるべきことが分からない」なんて、甘っちょろいことだ。
義父が最後に教えてくれた大切なこと。
人は生まれて、色々な人に出会い、考え悩み、笑って泣いて、そしていつかは人生に幕を閉じる。
残された者は、故人から学んだことを活かし、子孫に伝え、そして生きていかねばならない。
広島の深い山々、ゆったり流れる太田川を見ながらしみじみ思いました。

追記:
今は喪に服しているので、年末年始のご挨拶は控えさせて頂きますが、今年中に賜りましたご厚意に感謝申し上げます。来年もまたよろしくお願い致します。
皆様には良いお年を、そして、喜びに満ちた新春をお迎え下さいますように…。
今回はちょっと重い日記です…。
早いもので、もう12月も半ば。今年も残すところ僅かとなりました。
インドから戻って一年が過ぎ、子供達は一通り学校行事も経験し、すっかり「地元っ子」ぽくなってきました。私も何とかかんとか慣れないながらも地域のお役を務めさせて頂いています。
新しい環境の中、色々なことが起こり、様々なことを感じ、体調不良もあったり、笑って泣いて悩んだ一年でした。
3月に起こった未曾有の大震災以来、亡くなった方、行方不明の方、ご遺族のこと、原発問題、未だに不安を煽り続ける放射能問題…、まだまだ問題も課題も山積みなまま、2011年が幕を降ろそうとしています。
皆さんもそれぞれに色々な想いの残る一年だと思います。
実は、この秋10月に義父が亡くなりました。
義父はとても優しい人でした。初めて会ったのは12年前。両家を交えて結婚の話しをする席でした。
それまで一度も会ったこともなかった「何処の骨とも分からぬ」私を、最初から全てを受け入れるように認めてくれたことに驚きました。
少しも偉ぶることもなく、私の手料理も文句1つ言わず食べてくれ、ハンガリーにいる私達の元に何度も遊びに来てくれました。
義父は無口な人でしたが、ちょっとした言葉に思いやりや教訓を感じられることが多々ありました。校長先生をしていただけあって、人を見る目が優しく、的確に人物を捉えるところがあり、子育てに悩む私に、「大丈夫。良い子に育ってる。心配しんさんな。」と言ってくれました。
チーコが生まれた時は、「女の子を生んでくれて有り難う。本当に有り難う。」と、私なんかに向かって膝を合わせて涙を流して感謝してくれました。
そんな義父が亡くなりました…。
息子である夫A-さんは表現できないほど辛いはずです…。幸い、私は両親ともに健在なので、父を亡くした夫の気持ちは実感としては理解してあげられないのが申し訳ないです。
でも、お通夜・お葬式を終え、火葬場でいよいよお別れの時、夫には息子としての、私には私の、鉄男には鉄男の、チーコにはチーコの、それぞれの心の中で故人との思い出が走馬燈のように流れ、みんなで号泣しました。3歳のピー助だけは何も理解できていない様子で、「おじいちゃん死んじゃったの?」とあどけない顔で聞いていました。
今回の義父の死は辛いことだったけど、私は義父に救われたのだと感じています。
義父の亡くなる1ヶ月ほど前から、育児ノイローゼ一歩手前で、何をするにも自信が持てず、ちょっとしたことでイライラして眠れず、新しいことを始めたくても何をどうして良いのかもわからず、自己嫌悪の日々でした。
自転車に乗っている時など、ふと「このままトラックにでも突っ込んでしまえば楽になれるかもしれない…」とペダルに力を入れそうになっている自分がいて、かと思えば、「いやいや、死ねずに助かって、下手に障害が残ったり、家族に慰謝料などで迷惑をかけるのもいけないし…」と変に冷静で打算的な自分もいて、「死んだ方が楽だし死にたい。でも、自分は死ぬことすら出来ないのか、情けない…」と余計に落ち込んだり…。
そんな時の義父の死。
「死んで居なくなると言うことは、こういうことなんだ。こんなに辛くて、冷たくて、もう話せなくて、本当に骨になってしまうんだ。」という動かしがたい事実を突きつけられた気がしました。
お通夜・お葬式のために集まってくれていた親族のみなさんが、私にとってみれば憎たらしい我が子供達を見て、「本当に良い子達だね~」「子育て、今が一番身体もキツいけど、終わってみれば、この時期が一番楽しいと気がつくものなのよ。」と口々に言ってくれました。それが、どれほど大きな励ましとして私の心に染み入ったことか…。
生死を前に、「子育てが大変だ」「自分のやるべきことが分からない」なんて、甘っちょろいことだ。
義父が最後に教えてくれた大切なこと。
人は生まれて、色々な人に出会い、考え悩み、笑って泣いて、そしていつかは人生に幕を閉じる。
残された者は、故人から学んだことを活かし、子孫に伝え、そして生きていかねばならない。
広島の深い山々、ゆったり流れる太田川を見ながらしみじみ思いました。

追記:
今は喪に服しているので、年末年始のご挨拶は控えさせて頂きますが、今年中に賜りましたご厚意に感謝申し上げます。来年もまたよろしくお願い致します。
皆様には良いお年を、そして、喜びに満ちた新春をお迎え下さいますように…。
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優しいお言葉有り難うございました。
亡くなったお父様がより近くに感じられる、というお話し、とても素敵ですね。
そうですね、きっとそばで見守って下さっているのでしょうね…。
連絡先教えて下さってありがとうございました。
では、年が明けたらお会いできることを楽しみにしています。
コータローさんにとっては帰国後初めての日本の冬ですよね。
日々寒くなってきているので、風邪をひかないように、ご家族皆さんお気をつけ下さい。

初コメント有り難うございます。
このペンネームの「アッチャ~」は、goodかアチャチャ…(涙)のどちらなのでしょう?(笑)
ご自身の体験談を教えて下さり、励まし慰めて下さったことに感謝します。
私の泣き言のような暗い日記…
私のことを前向きな人間と思って下さっていたようですが、逆に躁鬱病で(笑)、
躁状態の時には楽しく前向きな日記を書き、鬱状態には、自分を鼓舞するために明るい話題を書いていただけなんですよね…(汗)
こんな私ですが、これからも、もしお時間ありましたらブログに遊びにいらして下さい。
またのコメントお待ちしております。
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再コメント有り難うございます。
経験からの説得力あるアドバイス、心に響きました。
そうですね、誰しも凹む時はあるし、凹めば無理は禁物。
ひたすら寝れば気持ちも明るくなりますよね!
それにしても、とても優しいお子様をお持ちですね…(涙)
「子供が最大の理解者」かぁ…。とても素敵な親子関係ですね。
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コメントありがとうございます。
インドのことも、本帰国後の日常生活への復帰のことも、子育ても、
色々なことにおいて、共感して下さる方の言葉って、
どうしてこうも心に響き、安心できるのでしょうね…。
コメントのお言葉、一言一言が、心に染み入りました(涙)
本当にありがとうございます。
柚子チキンさんと同じ時期にインドで過ごせたこと、今更ながら嬉しく思います。
こちらのブログはインドとは殆ど関係のないことばかりを書いていますが、
(といっても、更新すら出来ていませんが…)お時間有れば、またいらして下さいね。
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鍵コメのchimamoさま

コメント有り難うございます!ご無沙汰しておりますが、お変わりないようで何よりです。
いつもながら、心に染み入るようなお気持ちの籠もったコメントに、本当に嬉しくなりました。
chimamoさんのコメントに今まで何度助けられたでしょうか…。
私も在印中にchimamoさんにお会いしたかったです。
chimamoさんへの感謝の気持ちはコメント欄ではとてもとても伝えられないので、また改めて連絡させて頂きますね。
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